浅い反省と深い反省があるのかも

自分の悪いところは、何となくはわかっていたが

本当にとことん反省するためには、自分の不甲斐なさをとことん思い知らされないとできないものなのだなと、思った


定期的にコツンと、自分の悪いところを思い知らされることがあった


その度に、反省して、修正していたつもりだった


けれど、本当に心の根の所、自分の傾向性、もっと言えば、何度も生まれ変わって生きてきて培ったものがあるのだろうなと


良い部分、悪い部分はもちろんあるだろうけれど、悪い傾向性に関しては、そう簡単にはいかないもので、徹底的に自分を見せられ、打ちのめされ、わかった!参りました!もう自分を変えるしかないと決意が必要なような気がします


少なくても私の場合はそうです


自虐的になるということに似ているかもしれないけれど、これは全く別次元で、自分をいじめるというのでなく、徹底的に悪い部分を見て思い知らされ、本当に嫌になるくらい、消えたいくらいな気持ちにもなるのだけれども、なぜかそれを客観的に見ている違う自分もいて、それでいて、そういう自分でも生かされていて、生きていくということでしか、その悪い部分を修正できないのだと諦め、認め、そこから立ち上がってとにかく歩くしかないと思うというか


小手先の反省は、気づいた時から後には効果あるけれども、本当に深い所まで反省するには、自分の心の膿のようなものを出さないとできない

そう感じました


そして、心のその深い所まできて、心の闇の部分、沼の中に落ちているものを一つ一つ手探りで見つめて、これは何だろう、これは何だろうと見ていく、意識することで、紐解かれていくというか


ただ、それを見るためには、やはり人それぞれの時期というものがあるのだろう


ある意味、自分の不甲斐なさを知る時期は、挫折している時期のように感じるけれど、また逆に光がさしていて、ようやくその闇と対面することのできる時期でもあり、次へ進む前の大切な時期なのだと思う


今、少し浮き上がり歩き始め、何となく歩けるなと感じ始めているからそう思うのだろうけど


そして、その自分の不甲斐なさととことん対面していく事は、辛い作業でもあるけれども、とてもありがたい作業でもあるなと


もっと若くして対面しておけば良かったのに

いや、対面していたけど、スルーしていたのも自分だったのだから仕方ない